祖父のガラス工房を継いだ道(みち)と羽衣子(ういこ)の兄妹。道は診断を受けていないが発達障害(たぶん知的な遅れのない自閉症)で、羽衣子はその”きょうだい”として育ち、2人の仲は決して良いものではない。それでも2人は周りの人の力も借りながら、様々な困難を乗り越えていく。というお話。
道と羽衣子、両方の目線で語られます。
2人は吹きガラスで作品を作っているのですが、道の作った作品の方が周りの評価が高い、道には特別な才能がある、と羽衣子は感じています。そして逆に自分にはなにもない、と。小さい頃から母は「他の人とはちがう」道のことばかり見ていて、でもそれをうらやましいと思ったことはなかった。その特別さは周囲から疎ましがられ、避けられる類のものだった。でも、ガラス工房をやりはじめてからは嫉妬のようなものを感じるようになっていきます。
2人の祖父が言ったセリフが印象的でした。
本当にそうだなと思います。どうやったらできるか、どういうものが苦手か、相手にどうしてほしいのか、それを自分の言葉で説明できるようになればかなり生きやすくなると思います。そうなることが目標だなぁと思いました。
昔、長男が幼稚園に入園してすぐぐらいだったと思いますが、「うちの子は発達障害かもしれない」と周りのお母さんにこぼしたことがありました。(まだ診断はついてない頃)そのお母さんは私を励ますつもりで言ったのだと思いますが、「そういう子ってすごく記憶力が良かったり、すごく絵が上手かったり、すごい才能があるって言いますよね!」と言われました。そう、すごい才能がある人も確かにいるし、テレビで取り上げられたりするからそういうイメージが強くなってしまうのも分かるんですが…。そうとは限らない、そんな特別な才能がない人だっているでしょうよ、と思った記憶があります。
なんだかうまく言えませんが、そういうイメージができてしまうことで、障害のある子に過剰な期待をしてしまうのは良くないなと思います。または障害があるから絵が上手いみたいな考えとか。
確かに、見えている世界、聴こえている世界が違うのかもしれないけれど、それが芸術として評価されれば素晴らしいけれど、うまく表現できなかったり、他の人に受け入れられない表現だったりした場合もあるわけで。
それと診断なんてどうでもいい、ということについて。世間的には診断名があった方が漠然と特徴がつかみやすくなるからあった方がいいとは思いますが、1対1の関係では診断名なんてどうでもいい、というのはすごくそうだなと思います。
こうやって発達障害のある登場人物が出てくる小説があると、世間の認知もすすむというか、その登場人物が、読んだ人の”発達障害がある人の一例”になってくれるんじゃないかと思います。そして実際に発達障害がある人とかかわった時に、あの小説にでてきたあの人に似ているな。あの人はこうだったからこう接したらいいかな、あの人はこうだったけど、この人はこうだな、とか、思い出してくれるといいなあ…なんて思いました。
かなり個人的な感想なので、気になった方にはぜひ読んでいただきたいなと思います。読書好きでいろんな本を読むのですが、寺地はるなさんの他の小説もおすすめです!
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